言い訳

駄文ってことは知ってるから許してください

うみ

 

倦んでるなーと思う。

いつもながら、持て余した感情をどうにかする術は知らず、どうにかしようという気力もない。

心は大量の水が満ちるプールのようにも、ふちを掴んで持ち上げてみれば液面が揺れて跳ねてこぼれるビーカーのようにも思われるけれど、しょっちゅう生々しく痛むものだからそれはきっと肉色の肉でできている。肉を割けば中から血が溢れ、吹き出してくる。だけど感情の境界は曖昧で、器などあってないようなもののような気もする。毛細血管の先同士を血液が移動するみたいに、わたしの感情は私の範疇の外へと滲みだしている。肉でできたわたしの湖からいくつもの細い川を通って感情が海へと流れ込む。代わりに海からは世界が流れ込んでくる。川のいくつかは他者あるいは他者の集団へとつながっていて、その水はしばしば澱む。人と関わるための心の器官に疎ましく煩わしく厭わしい感じがして、打ち捨てられた死体の膿が溢れ蛆の湧く傷口を幻視する。

かつてひとの心も自分の心も、移り変わっていくことが恐ろしくて仕方がなかった。初めに、変化はどうしようもないことなのだと理解した。それから、その事実に痛みを感じる必要はないのだと学習した。あるいは、痛みは顧みなくてよいのだという信念を抱いた。あるときを惜しむ感情もすぐに風化するのだから、必死に痛みを取り除く努力をしたところで傷口を抉るだけなのだ。

腐った果実を治そうなどという馬鹿はいなくて、ただ切り落とせばよい。倦んだ執着を切って捨てて、傷口を焼いてしまえば、ずっと軽い心で生きられる。

捨てて忘れて、かつて大事だったものの穴などなんでだって埋められる。今わたしを満たすものへの愛をわたしが失ったとして、なにを惜しむことがあろうか。わたしの愛はわたしの中から忘れ去られて甦ることはないのだから。

さようならわたしの心、わたしの肉、わたしの血、またこの海のどこかで。