言い訳

駄文ってことは知ってるから許してください

大学二年夏、承認欲求

 

 ツイッターやめますん。

 わたしはかなりの頻度でツイッターのアカウントを削除しては、即復活させるということを繰り返しているのだが、今回はちゃんと一定期間ツイッターを断ちたいなあと思い立ち、決意表明のためにブログを書いている。しかしまあ、のっけから自信のなさが露呈する宣言となってしまった。

 最近は少しツイッターとの距離感がおかしかった。元々、わたしのアカウントは二人の地元の友達にしか見られていない鍵垢で、本当に好きなように書きたいことを全て書いていた。しばらく前に、地元の友達がもう一人フォローしてくれた。フォロワーが二人から三人になった。全員リアルの知り合い。たったそれだけのことなのに、ボタンを掛け違えるみたいに自分の中でのツイッターの位置づけがおかしなことになってしまった。

 わたしにとって、いいねは友達を少しだけより身近に感じさせるだけの、ささやかな存在だった。わたしの書いた文字になにかしらの「よさ」を感じたからいいねしてくれたのだろうと、多少は承認欲求をくすぐるものではあったが、基本的にはその範疇に収まっていた。

 元々の二人のフォロワーは高校時代ずっと一緒にいた親友で、新しいフォロワーはそこまで深い仲という訳ではなかった。とはいえその子だってほぼほぼ身内みたいなもので、その子のいいねは元々のフォロワーたちと同じ、友達付き合いの一環に違いない。なのにわたしは、少しだけ距離の遠い友人のリアクションに客観性を見出してしまった。いいねが評価になった。

 評価だというなら、たくさんほしかった。センスを信頼していて大好きな友人に認められたかった。でも、わたしの言葉はつまらない。

 ずっとわたしの中から湧いてくる感情と思考を少しだけ加工して書き連ねてきた。他人に評価されずともわたしを満たせればよかった。いやそれはちょっと嘘かもしれないけれど。昔からいいねはかなりうれしかったし、わたしと、できれば他人が面白いと思えるツイートがしたかった。その欲に、結構な勢いで拍車が掛かって、呟くのがやめられなくなった。発してしまった言葉が不格好でダサくて気持ち悪くてちっとも面白くないのに耐えられなくて、塗り重ねて、もっと無様な出来になった。でも別に人に向けた文章を書くというわけではなかった。相変わらず、思ったことだけを書いた。このブログと同じように、感情の処理に使った。ありのままのわたしを見て、認めてほしいなんて滑稽でしかたがないけれど、きっとそうだったのだと思う。わたしの中にあるもの以上ものがわたしから出てくることはない。わたしは矮小で凡庸で真実つまらない人間だった。

 こんな感じで、この夏はちょっとよろしくない泥沼に足を踏み入れてしまったのだった。ここらで、ツイッターには「わたしたちいいお友達でいましょうね」と釘を刺しておくべき頃合いだろう。いや勝手に執着しておかしくなったのはわたしなのだけど。

 わたしは評価を求めていながら努力をしない。昔はそれでもよかった。なににつけても要領がよくないわたしだけれど、学校の勉強においてだけは違って、成績はそれなりによかった。テストの点数と先生のおだてがわたしの承認欲求を満たしてくれた。しかし、やはり、努力ができなくて、それを補うほどの才能があるわけでもない人間がそう上手くやっていけるはずもなく、大学受験は失敗したし(滑り止めの中堅大学はトップの点数で受かった。それが最後にわたしを調子づかせた経験だった)、今はその大学で一留のうだつの挙がらない学生をやっている。

 最近は小説(未満)を書いては、自分の文章の稚拙さとつまらなさに落ち込んでみたりしている。高校の先生には文章上手ね、なんて言ってもらったこともあるけれど、努力しなけりゃ所詮こんなものだ。このブログも冗長で、それだけ。

 けれど、長い大学の夏休みはまだ残っているから、沢山本を読んで、文章を書いて、少しだけ努力してみたいと思っている。そうして、健全に自信を付けたい。飽きっぽくて、三日どころか一時間も続かない、しょうもない人間だけど、ほんの少しでも自分を変えられたらいいな。

 

 

 ヒェーーーーーーーッ無理だよーーーーーーー!!!!!!書いててさぶいぼ立っちゃった。無理だよ無理、わたしは腐りきってるんだから。てか言い方キモ。でもこういう態度を馬鹿にしてるところが私の救えないところなんだろうな。わたしは自分のことも他人のことも、わたしの意志でその在り方に干渉することなどできないと諦めきっているんだ。全部夏のせいだ。承認欲求におかしくなるのも気温のせいだし、変に前向きなのもバカみたいな日差しのせい。でも小説とブログは少しでも多く書いてみようかな。駄文を書き散らすのは夏休みの浮かれ気分のせいだから。