言い訳

駄文ってことは知ってるから許してください

カレーのじゃがいもと俺

 俺、カレーの正解、見つけちまったかもしんね……

 

 突然だけど、カレーのじゃがいもに味が染みることって、ある?なくない?どれだけ煮込んだところでルーの味はじゃがいものほくほくに負け、しまいにはじゃがいものほうがルーに溶け込んでしまうのが関の山。わたしはカレーにじゃがいもを入れない。煮崩れないように気を遣うのがだるいし、じゃがいもの輝く場はカレーじゃないから。

 しかし、わたしは気づいてしまった。後乗せという手段に。レンジでふかした芋をカレーに添える。ねっとりほくほくあまみのある芋が口の中でルーと絡み合い……これだ!みんな、カレーにじゃがいもを入れるな。後から添えるんだ。よろしく……それだけ……

コインランドリー実況

今晩は。只今の時刻は20時44分、わたしはコインランドリーにいる。8月も末、猛暑が続く今日この頃だが、未だに片付けていなかった冬用の布団を洗いに来た。
「深夜のコインランドリー」に憧れがあったが、実際来てみるとそういいものでもない(深夜という時間帯でもないが)。エアコンはろくに効かず、そこらの床では羽虫が這っている。暇つぶしにと持ち込んだローソンの弁当はあまり美味くなかった。
あ、「店内でのご飲食、飲酒、喫煙は衛生上固く禁止致します」。見なかった振りをしてデザート兼水分代わりのパピコを啜る。パピコはいつ食べても美味い。暑ければなおさら。やっぱりちょっと「深夜のコインランドリー」っぽいかもしれない。
しかし、この時間にも関わらずそれなりに多くの洗濯機と乾燥機が埋まり、人の出入りもそこそこある。そもそもこのコインランドリーは23時閉店だった。
ドラム式洗濯機の中で、重たい布が上から下へと水しぶきを上げて叩きつけられる様を見ているのは結構楽しい。
真っ暗な外から見たら煌々と光る店内は、それっぽい、のだろうなぁと思って窓のほうを向いたら、どことなく生理的嫌悪感をもたらす薄黄色の蜉蝣が数匹張り付いていた。
蟷螂だ!蜉蝣の集団を数え、辿っていたら、その先に小ぶりな蟷螂がいた。残念ながら、わたしは虫取り網とカゴを携えて実家の前の花壇を走り回っていた小学生ではなかったので、せっかくの大物を捕獲するすべはない。かっこいい虫と取るに足らない虫を区別する感性を失ったのはいつの頃だろうか。
本棚には背表紙が煤けてもはや読み取れぬ、巻数がとびとびのこち亀に最新の女性誌
あ、洗濯が終わってしまう。ちなみに布団はむき出しで腕に抱えて歩いて来たし、当然帰りも同じだ。洗濯機は先程止まったが、書き足りず腰が重い。時間を潰すことには見事に成功したが、夢中になってしまって本懐が進まないというのも暇つぶしとしては失敗かもしれない。

2020年8月27日の日記

・久々に「囀る鳥は羽ばたかない」を読み返したらめちゃめちゃおもしろ!

・「人間味」と異常な感性と常識の狭間をふらふらしている人間はいいなーと思った。規範がひく境界線上のすったもんだが好き。情動の針が振れる瞬間がたまらない。

 

・昨日、腐らせる前にと5本の茄子を料理してしまったのはいいけど、どう考えてもこんなに食べたくない。一人暮らし3年目にして未だ一人分の買い物の適正量をわきまえられず、余して捨てたり、無理やり食べたり、なにかと罪深い生き方をしている。現に、数日後には家をしばらく空けなければならないことになっているのに、冷蔵庫の中には野菜がいっぱい。野菜は冷凍できないこともないけど、多くの場合、なんだか悲しくなる食感になってしまうので、できるだけ生で食べきってやりたい。でも、食材が消化すべきタスクになってしまうと、なにかに追い立てられるような気分になって、無駄に料理して、腹が減っていないのに食べたりしてしまい、それも悲しい。難儀だなぁ。あと茄子は多めの油で調理しないと美味しくないので、一度にいっぱい食べるものでもないし、買うものでもない。それだけは学習した。

 

・自分の欲望を正確に把握した上で、他人に何かを求めなければならないなぁと思う。〇〇してほしい、されたいという欲望があって、でもそれに気づかずに、あるいは気づかない振りをして、他人が自分の欲するものを与えてくれるように仕向けようとする、というのは、めちゃめちゃうざいけど、私はかなりそれをやってしまっている自覚がある。自分が何を求めているのかをよくよく自問して、真正面からひとにそれを請うなり、諦めるなりできるようになりたい。他人にも、自分の欲望にも、できる限り誠実でありたいとは思うのものの、道は険しい。卑屈になるものやめたい。いや、自分ひとりで卑屈になってる分には構わないのだけど、人前でそう振舞うのは卑屈というより卑怯だろう。結局に他人にケアさせることになる。「自分がダメなのは自分が一番知っているんです、だから怒らないで、嫌わないで、私を低く評価しないで」という欲望を優しい人が汲み取って慰めてくれる。わがままであるほうが、自分の欲望を述べている分ましなレベル。自己卑下は、端的に「わるい」のだ。それでも、その鎧を脱いで世界に向き合うなんて無理だ。真実の、客観的な評価を見つめるのがこわくてしかたがない。つらい。

 

・経験上、関係をより強いものにした、修復したい、維持したいと思った時点をその関係は破綻していて、望みはない。相手に迷惑を掛けず、自分も傷つかないために、潔く諦めるのが一番いい。でも、大抵空回って自爆する。だから執着は少ないほうがいい。

 

・自作のBL(それもR-18)を友達に見せてしまった。数時間に一回、羞恥の波が襲ってきて、叫ばずにはいられなくなる。文章が拙いのも、自分の性癖(誤用)を暴露しているのも、こんなものを公開して平気な厚顔無恥な人間だと思われるのも恥ずかしい。死のうか。

 

・嫌われたくない。ただそれだけなのだが、その執着が一番不要なものなのだ。世界にはわたしとボーイズラブだけあればいい、そうだろう。神はわたしを拒まない。だって、わたしが勝手に見出すものなのだから。

 

・バイト中、焦って早口になるし、口が回らなくなるし、自分が何をしゃべっているのか、何をやっているのかよくわからない。同僚に対する返事に、ついお客向けのかしこまった言葉が飛びでてしまったのには気づいてギャッとなる。

 

・うっかり手癖で人生を憂いてしまったが、最近は夏休みなのをいいことに、悠々自適過ごし、そうそうないくらいストレスフリーに暮らしている。ボーイズラブを読んで書いて、それなりに「生活」をやって、バイトでは相も変わらずやらかしているが、そのつらさを補って余りある享楽。勉学にも手を付けなければならないという義務感は感じているが、結局やらずに罪悪感に押しつぶされるのはまだ少し先だろう。

 

・追記 くぅーっ囀る鳥は羽ばたかない、染みすぎるぜ!になってしまったので記しておきます。カジュアル裏社会BLが書きたいなー、気持ち高めるのに囀るでも読んどくか、と思って読み始めたのに、卓越した技巧で描かれるガチガチの泥臭いホモソと男と男のラブに夢中になってしまった。ボーイズラブ、マジで好き。

大学二年夏、承認欲求

 

 ツイッターやめますん。

 わたしはかなりの頻度でツイッターのアカウントを削除しては、即復活させるということを繰り返しているのだが、今回はちゃんと一定期間ツイッターを断ちたいなあと思い立ち、決意表明のためにブログを書いている。しかしまあ、のっけから自信のなさが露呈する宣言となってしまった。

 最近は少しツイッターとの距離感がおかしかった。元々、わたしのアカウントは二人の地元の友達にしか見られていない鍵垢で、本当に好きなように書きたいことを全て書いていた。しばらく前に、地元の友達がもう一人フォローしてくれた。フォロワーが二人から三人になった。全員リアルの知り合い。たったそれだけのことなのに、ボタンを掛け違えるみたいに自分の中でのツイッターの位置づけがおかしなことになってしまった。

 わたしにとって、いいねは友達を少しだけより身近に感じさせるだけの、ささやかな存在だった。わたしの書いた文字になにかしらの「よさ」を感じたからいいねしてくれたのだろうと、多少は承認欲求をくすぐるものではあったが、基本的にはその範疇に収まっていた。

 元々の二人のフォロワーは高校時代ずっと一緒にいた親友で、新しいフォロワーはそこまで深い仲という訳ではなかった。とはいえその子だってほぼほぼ身内みたいなもので、その子のいいねは元々のフォロワーたちと同じ、友達付き合いの一環に違いない。なのにわたしは、少しだけ距離の遠い友人のリアクションに客観性を見出してしまった。いいねが評価になった。

 評価だというなら、たくさんほしかった。センスを信頼していて大好きな友人に認められたかった。でも、わたしの言葉はつまらない。

 ずっとわたしの中から湧いてくる感情と思考を少しだけ加工して書き連ねてきた。他人に評価されずともわたしを満たせればよかった。いやそれはちょっと嘘かもしれないけれど。昔からいいねはかなりうれしかったし、わたしと、できれば他人が面白いと思えるツイートがしたかった。その欲に、結構な勢いで拍車が掛かって、呟くのがやめられなくなった。発してしまった言葉が不格好でダサくて気持ち悪くてちっとも面白くないのに耐えられなくて、塗り重ねて、もっと無様な出来になった。でも別に人に向けた文章を書くというわけではなかった。相変わらず、思ったことだけを書いた。このブログと同じように、感情の処理に使った。ありのままのわたしを見て、認めてほしいなんて滑稽でしかたがないけれど、きっとそうだったのだと思う。わたしの中にあるもの以上ものがわたしから出てくることはない。わたしは矮小で凡庸で真実つまらない人間だった。

 こんな感じで、この夏はちょっとよろしくない泥沼に足を踏み入れてしまったのだった。ここらで、ツイッターには「わたしたちいいお友達でいましょうね」と釘を刺しておくべき頃合いだろう。いや勝手に執着しておかしくなったのはわたしなのだけど。

 わたしは評価を求めていながら努力をしない。昔はそれでもよかった。なににつけても要領がよくないわたしだけれど、学校の勉強においてだけは違って、成績はそれなりによかった。テストの点数と先生のおだてがわたしの承認欲求を満たしてくれた。しかし、やはり、努力ができなくて、それを補うほどの才能があるわけでもない人間がそう上手くやっていけるはずもなく、大学受験は失敗したし(滑り止めの中堅大学はトップの点数で受かった。それが最後にわたしを調子づかせた経験だった)、今はその大学で一留のうだつの挙がらない学生をやっている。

 最近は小説(未満)を書いては、自分の文章の稚拙さとつまらなさに落ち込んでみたりしている。高校の先生には文章上手ね、なんて言ってもらったこともあるけれど、努力しなけりゃ所詮こんなものだ。このブログも冗長で、それだけ。

 けれど、長い大学の夏休みはまだ残っているから、沢山本を読んで、文章を書いて、少しだけ努力してみたいと思っている。そうして、健全に自信を付けたい。飽きっぽくて、三日どころか一時間も続かない、しょうもない人間だけど、ほんの少しでも自分を変えられたらいいな。

 

 

 ヒェーーーーーーーッ無理だよーーーーーーー!!!!!!書いててさぶいぼ立っちゃった。無理だよ無理、わたしは腐りきってるんだから。てか言い方キモ。でもこういう態度を馬鹿にしてるところが私の救えないところなんだろうな。わたしは自分のことも他人のことも、わたしの意志でその在り方に干渉することなどできないと諦めきっているんだ。全部夏のせいだ。承認欲求におかしくなるのも気温のせいだし、変に前向きなのもバカみたいな日差しのせい。でも小説とブログは少しでも多く書いてみようかな。駄文を書き散らすのは夏休みの浮かれ気分のせいだから。

令和2年にL〇VELESSをパロる女

 

 というわけでL〇VELESSパロの話です。まじでかなり爆萌してるので自分に正直に、後悔しないようにやりたいこと全部やりたい。

 

 まず、どっちが戦闘機でどっちかサクリファイスかって話なんですけど、どっちだろうね~~~かなり迷う。

 転生パロとかいう二重の業を背負うなら、断然、ふみあきが戦闘機、しかも七声学園の戦闘機でサクリファイスの雪也を探しにいくやつなんですよ。

 ここまで書いて思ったけど転生前提じゃなくてもやっぱふみあきが戦闘機で雪也がサクリファイスだな。

 あと原作は全巻実家に置いてきたのでウィキペディアを見ながら書いているのですが、「戦闘機はペアのサクリファイスが死んで生き続けたり、別のサクリファイスとペアを組むことは恥とされる」ってあって、マ???そんなん雪也の死後、周りに生ぬるく誹られながらも無気力に生き続けるふみあき絶対見たいじゃん。決まりましたわ。

 多分それが常識だし、ふみあきは別に後追ってもいいかなと思ってたんだけど、雪也が呪うんだよ。

 

 当然だけど、ふみあきと雪也は本当の名前のペア。本当の名前どうしよっかな~恥じるな!!!!!あの頃の心を思い出していっちゃんかっこいい名前にするんだよ!!!〇〇LESSでしょ……?ENDLESS……とか?これは皮肉ってやつなんですけど(爆)もう完全に90~00年代のやおい者になっちゃった。

 どこに刻もっかな。雪也は心臓の上でふみあきは足かな。命だし、どっちにとっても呪い。

 えっ、ゼロシリーズとか完全に忘れてた設定なんですけど、0の二人も良いじゃん……交換可能なのにお互いに発生する執着。雪也はサクリファイスとしての能力が多少高い代わりに、身体機能に欠陥が生じた失敗作で使い潰した後は交換が決まってるし、予備の候補もいる。

 

 全人類猫耳しっぽが生えてて童貞処女じゃなくなると耳としっぽが抜け落ちるとかいうあたおか設定まじで好き。普通に二人で落とすのもかわいいし、ある日どっちかの耳がなくなって問い詰めるシチュもあり。いや問い詰めはどっちもしないか?でもやっぱ定番のやつやりたいやん。

 

バイトから帰ってきたら続き書き足します

麺ヘラ枕草子

 

春は桜がうざったいから、車道に横たわりたいし、夏は雲が眩しいから、屋上から飛び降りたい。秋は指先が冷えるから、首を吊りたいし、冬は色褪せているから、崖から海に飛び込みたい。

 

 自分冬季鬱なんで…という言い訳をよく使うが、夏は夏で蒸し暑いから病むわ~と言っている。何も苦しんでなどいないくせに、人に掛ける迷惑だけは一人前。周囲の人間に恵まれたくせにそんな人たちに向ける最低限の態度も保てない。ちなみに今書いている文章に計画性や文脈などというものはかけらも存在しない。今すぐ寝たいが、吐き出さないと寝付きが悪いだろうから、とにかく打鍵を止めずに懺悔RTAを試みている最中である。早く死にたい。なけなしの良心の呵責に気を遣うことすら怠い。誰にも迷惑を掛けたくない。私を見て。私を心に留めておいて。誰も私を見ないで。怠惰でごめんなさい。あなたたちに報いなくてごめんなさい。搾取するばかりでごめんなさい

 最近はチョコレートしかおいしいと感じない。おかあさんおとうさんお金を浪費してごめんなさい。怒らないで。ときどき何も感じないのにポテトチップスも食べる。おいしいはずのものだから。あんなにおいしかったのだから。おいしくないよ。チョコレートだっておいしくなんかないはずなのに。でもチョコレートはまだ私の脳を麻痺される。

 はやくしにたいといっぱい言いたい。誰も私の言葉を聞かなくていい。なのにインターネットに書き込んでいる。しんだほうがいい。許されたい。怠惰なまま生きる許しを請う。価値がない。愛されて報いないのだからマイナスですらある。

 愛している。ほんとに愛しているよ。一握りの全員を。はやく永遠になりたい。

 

 気色悪いよ~~~~~~ムリムリムリなんですけど己。どうしてこんなにキモイ………?青汁飲んだらこの性根も治りますか?それなら毎日飲むのに。青汁は個人的決してまずくはないけどおいしくもない食品No.1です。無価値なのは嫌だよ~~~~~でも努力は絶対したくないよ~~~~~嘘、ほんとは努力できる人間になりたすぎ。でもできないんだもん。マジ全然しにたかないんだが。でも怠惰が過ぎて病気のふりをしてないと許されない。許されたいから。最近は結構病名のつく世の中ですが、私は中途半端なので。いや怠惰なだけ。自由意志否定論者だけど、自由意志はあるということになっている世界で生きているということにしているので、一応怠惰を悪徳とみなしている。まじいらん道徳。

 毎日タダでラーメン食べたい(タイトル回収)明日もチョコ食う。おやすみ!

失恋ブログ(笑)

 

厄年か???後厄は去年終わったはずなんですが…実際去年一昨年はだいぶ厄く(やくいく)て、ようやく人生好調~と思ってたのに

 

この恨み節をいつかきみが見てくれたらななんて呪いを吐いてはみますが、それが叶ったとてなににもならないので、ただ自分を憐れむために書きます。

 

 

 

 

悲しいな~~~~~悲しいよ。思い通りにならないのは世の常とは言いますが、やっぱり悲しくなっちゃうね。

恨み節なんていったけど、わたしはきみのこと恨んではいません。いっそ憎めたら楽なのにね。嘘、この陳腐なセリフが文字通りの意図で使われていたところ、わたし見たことないよ。ほんの少し、いや結構恨んでるけど、きみとっては全く身に覚えなどありはしないでしょう。それは正しくて、ほんとうにほんとうに私が愚かだった、それだけの話で、最初から最後まで私の中だけで完結している。そのことが悲しい。

 

きみとわたしの関係は最初から釣り合ってなかった。きみの中には絶対的な価値があるから、それ以外は相対的に取るに足らないものにならざるをえない。対するわたしは重い女だから、いつも自分の周りの人に執着して、でもわたしは人に価値を見出してもらえるような振る舞いがどうしてもできなくて、ずっと執着を相手に知られることすらないまま一人、寂寥を覚えるだけの人生だった。

きみに優しくしてもらって、手を差し伸べてもらっているように思って、当然のようにきみに執着した。はじめて誰かから本気で自分の価値を認めてもらったような気がした。

次第にわたしはきみの中のほんの小さなスペースに腰かけているだけの存在だと理解したけれど、それでも構わなかった。わたしがきみから与えてもらったものも良心、同情あるいは義務感によるものでしかなかったと気づいたけれど、そうできるきみを尊敬した。

きみがわたしに認める価値とわたしがきみに認める価値はちっとも釣り合っちゃいないから、せめて自分の価値を落とさないように、努力した。努力したつもりでしかなかったかもしれないけれど。

きみののろけだって笑顔で聞いたし(きみにわたしとの時間を心地よく感じてほしかったから)きみの相談をできる限り真摯に聞いた。(きみに頼られたかったから、力になりたかったから)それからきみの唯一の不興を買わないように心掛けた。(あのこに嫌われるのはきみに嫌われることだから)

きみもご存じのことかとは思いますが、わたしは恋愛が苦手です。ほんとうは恋愛をやっている人間の側に行きたくてしかたなかったけど、わたしには才能がなかった。だから、ずっと世界から除け者にされているような気がしていた。才能がないっていうのはそもそもそういう感性にかけるのもそうだし、恋愛特有の空気感だとか性的なアプローチに嫌悪感があるのもそう。そうじゃないのは分かっていても、自分ひとり頭がおかしいみたいに感じる。だからって自分の苦しみを理由に他人を傷つけてはならないの重々承知してるつもりで、ほんとうは冗談めかして自虐めいた呪詛を吐くのだって罪だって思ってる。

話が逸れてしまった。まあ正直そういう話は居心地が悪かったし、きみが自分で振り回されることを選んでるのを馬鹿じゃないのと思っていたし、たまにきみと生の声で話せる機会があったら、わたしたちの共通の話題で盛り上がりたかったし、きみが振ってくれる話にも屈託なく応えたかった。最近はだいぶ欲望に負けて努力を怠っていた自覚はあるけど。

でもこれらは全部わたしが望んでやったこと。きみに求められてなんかない。きみと付き合うことにはそれだけの価値があると思ったから、きみからもらったと思っていることを少しでも返したかったから、わたしが勝手に苦心していただけ。

そもそもきっと、きみにとって居心地の悪い言動をわたしがしてしまうのを、きみは飲み込んでいてくれた。だから、わたしもそうして、それがわたしたちの友情の形だと思っていた。ああでも、わたしは嘘をついたことはないよ。誓って。いや、一回か二回か何回かは魔がさしてやったかもしれない。ごめん。

他の人には話せないようなことを聞いてあげられるんだって驕ってた。不快感よりもきみに話してもらえる喜びのほうが何倍も大きかった。

きみが相談(でもないかもしれないけれど)してくれることに対して、わたしにも担える役割があるのだと信じていた。あのこはきみの唯一かもしれないけれど、きみの全てを満たせるわけじゃない。きみがわたしと付き合うことには多少なりとも価値があるのだと思ってた。

わたしの本音なんて墓場まで持っていって、今きみに構ってもらえるのを喜ぼうと思っていた。そのうちわたしが望まずとも疎遠になるのだろうけど、ああ、寂しいな程度に消化できると思っていた。本当のところ、もっとずっとつながっていられるんじゃないかなんてありえない希望も持っていたけど。

でも、どれだけわたしがきみに救われたと思っていて、感謝していて、きみのことを好きでも、きみに少しも執着してもらえないのだとようやく理解した。いつか、じゃなくて、あと二年もしないうちに、それどころかいますぐにでも、二人で会って話すことはおろか、LINEすることすらなくなるのだと、いまさら気づいた。まじで馬鹿だな。

 

 

きっと諦めをつけるにはいい機会だから、ここらでわたしは自分の執着を処分するのにブログを書きました。自分がこんなに重くて気持ち悪いのだってできる限りしまっておいて、めんどくさくないわたしでありたかった。だけどほんとうに、砂掛けるみたいな真似するくらいなら最初から何もやっちゃいけなかったんだよね。ごめんね。存在するはずのない感情だったんだけど、なんかもう憎くなってしまって。ぜんぶぶち壊したくなっちゃった。壊れるようなものなんてきみの側にはないんだろうけど。

それだったら最初からやさしくなんてしないでよ。

わたしの文章が好きだって社交辞令真に受けて、こんなブログまでつくって、ほんとうに馬鹿みたい。

 

でもなにが一番愚かかって、この期に及んでこんな文章できみの感情を揺さぶれるんじゃないかって期待してること!

バーカ!!!逆恨み乙~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「愛」のコードの中身を理解できないから、どうしてわたしがつかっちゃいけないのかわからないよ。