言い訳

駄文ってことは知ってるから許してください

うるさい

 ママがさっきから痰を絡ませている。けほけほん゛んという音たちを聞くと身体の真ん中にあるガラス球を紙やすりで削られるみたいな気がする。不快を拾って脳へ伝える肉体が憎い。早くこの身体から逃げ出したいが、衣服みたいに脱ぎ捨てられはしないので、せめて身体を殴って痛めつける。苦痛はうるさいので全部かき消してくれる。携帯のコードで首を絞めると、頭の後ろのところとくちびるがざわざわと痺れて、絶望でいっぱいになって、心底安堵する。

 そんなことをすればママに止められてしまうので、現実のわたしはパソコンに向かって妄想を吐き出しているだけだが。

 平均的なものであったはずの音に対する過敏は、高校に入って半年経たあたりで異常のボーダーを超えた。以降、病的さには拍車がかかるばかりで、次第に周囲に取り繕うことも難しくなっていった。高校生活終盤には、たまにすすり泣きを押し殺すのに失敗していた。しかし、幸いにもそのころにはもう受験シーズン真っ盛りだったので、同級生は受験で追い詰められているのだと勘違いして、仲間意識をもって慰めてくれた。本当のところは、ただ教師の息遣いと咳払いと同級生の鼻をすする音が気持ち悪くて気持ち悪くて、それらの響く教室に閉じ込められている状況に、気が触れていただけなのだった。それでも高校に通い続けることができたのは担任の先生のおかげだった。三年間わたしの担任であった先生はそうそういないような人格者で、わたしのおかしな泣き言を全て受け止めてくださった。毎日にように先生に泣きつき話を聞いてもらって、わたしはなんとか高校を卒業した。

 先生に出会えたわたしは本当に幸運な人間だと思っていた。でも、今となっては、先生に迷惑をかけながら高校生活そして受験を乗り越えたことに意味があったのか疑ってしまう。せっかく担任ガチャSSR引いたのに無駄にしてしまった。

 当たり前のことだけど、大学に先生はいなくて、カウンセラーも精神科医の先生の救ってはくれなくて、大学の講義室で、バスの中で、飲食店で、忌まわしい音の発生源を睨みつけずにはいられなくて、なんとかなんとかやめてくれないか手足を動かして、だけど、わたしはただの頭がおかしくて迷惑なひとなのです。

 早く棄てたい。