言い訳

駄文ってことは知ってるから許してください

恋とはどんなものかしら

 昨夜はめずらしく眼が冴えて、薬を飲むか迷っているうちに夜が明けてしまった。ということで、昨日の記事を書いてから一睡もせずにこれを書いている。眼球周辺の筋肉がギュッとなっている。朝になってしまったので例の記事を薄目で見返したが、やっぱり、黒歴史になるだろうことがわかりきっているのに消去する気にはならない。わたしは黒歴史黒歴史だと察しながらも完成させずにはいられないのだ。アレはまだ件の友人にURLを送り付けていない。

 それで、いまだに寝る気になれないので、忌々しいアレの中で触れた、マジで恋愛感情がわからんの件について書こうと思う。

 生まれて間もなく自我を得て、しばらくするといつの間にか恋愛という概念を獲得していた。以来、自分の中に「恋」を探してきたが、一度も見つかったためしがない。小学生のころは、たまたま近くいた適当な男子の名前を借りて、もしかして自分はこの人に「恋」をしていたりはしないかなどと無駄に疑っていたりしていた。そんな小学生時代が終わりに差し掛かるころに、わたしはぼんやりと自分の指向が同性に向いているように感じるようになった。ただ、誰か好きな女の子がいたという訳ではなかった。それでも、中学生のとき、ボーイズラブ・百合と、同時にLGBTという言葉に出会い、自分はこのレズビアンもしくはバイセクシュアルなのだと思うようになった。高校生になると「性欲」を覚え、女に抱かれてえなあと漠然と思うようになった。

 なんか、みんなの中には単なる親愛とは別枠で「恋愛」というものが存在するらしい。よくわからないけどわたしの中にもきっと「恋愛」があるはずだ。「ときめき」らしきものはたまにある。確か。あれが恋とかいうやつなのかもしれない。けれど、その感情は全然続かないし、なにより相手の人間に対する執着というものがない。親愛との違いもわからない。学生時代はずっとそんな感じでやってきた。

 結局、わたしはみんなが適応しているらしい「恋愛」に自分の適応しようとしていただけなのだろう。自分の「性欲」だと思っていたものすら世間の「性欲」に合わせてつくりだしたもののような気がする。最近になってようやく自分は世間一般に浸透する「恋愛」の概念と相性が悪い人間なのだと認めた。「恋愛」への憧れが強くあったけど、別にほしくないものをほしがらなくてもよいのだと今は思える。

 それから、アイデンティティのためにLとかBとかAとかNとか何か称号をほしがった自分もいたけれど、そもそも適応できない概念を前提に自分を定義する必要もないのかな。その名称が必要なときもあるのだろうけど。わたしは、なんとなく同性に対して性的魅力を感じるような気がしないでもないけど、恋愛感情がわからなくて、でももしかたらこれから知ることがあるかもしれない人間で、誰かにそれを示す必要はない。それだけのことだった。

 で、ここからが本題(マ?)のボーイズラブの話です。散々恋愛わからんとかいいながらぼくはボーイズラブが大好き。恋愛が何かはわからなくても、ボーイズラブボーイズラブとしてこの世に存在するので何がボーイズラブかとか考える必要はないのです。作品はみなこれがボーイズラブだと言ってきます。(あんまりな暴論)

 そんで結局なにが言いたいかというと、ボーイズラブのリアリティはわたし個人にとってはあまり意味がないということだ。このリアリティというのはゲイを取り巻く環境というよりも感情の話だ。わたしはおそらくリアルの恋愛感情を体感で知ることはないので、全ての恋愛の心理描写がわたしにとってはずっとファンタジーだ。どうせ恋愛をやっている人だって他の人の「恋愛」がなにかなんて本当に知ることはないんだから、恋愛感情の描写なんて好きなだけ抒情的に、劇的に、印象的に、華美にやればいいと思う。でも、正直リアルっぽいもののほうがなんとなくイケてるようにみえるときはある。