言い訳

駄文ってことは知ってるから許してください

 ここ数日はすっかり頭が静かなものだからブログをさぼっていた。なんとなく考えていたことはあるのだが、特に言葉にしたいと思わない。とりとめがなさすぎるということや、自分の主張や結論が固まっていないということもあるが、何より言葉にするには後ろめたいところがあるのだと思う。わたしはとにかく正直に言葉にしたい。そして、自分自身だったり自分が属してきたコミュニティ(わたし自身はなにも発信していないのでコミュニティに属すという表現が適切なのかはわからない)を批判的に再考するというのはすごく難しい。

 これまで人生のポリシーという言葉を実感を持って使ったことは一度もないのだが、自らに対して正直に(脳内で)言葉を紡ごうとだけはずっとしてきた。表層の思考だけでなく、気づかないけれどどこかにある感情とか傾向をくみ取ろうとしてきた。正直であることを美徳だとするわけではなく、自分の「こう考えたい」に消される自分がいてはならないという規範がいつからか自分の中にある。だが、こうして自分の思考を頻繁に文字として書き出すようになってみて、本当に認めたくないことは中々明瞭な言葉にはならないと気づいた。

 自分を否定されることに対して過敏に拒絶反応を示してしまう。信頼、愛着、好意の対象も深く自分と結びついているというか、たぶん多分自己の範疇に入れてしまっているんじゃないかなわたしは。それはそれ、これはこれということができない。(それはそれ、これはこれと切り離せるのかということには懐疑だがそれはそれ)だからそれらが否定されるとひどく傷つく。

 自分を守るために自分の部分を消してしまうこと、それから自己の無用の拡張を乗り越えて、自分を忠実に綴りたいと、これだけは他の誰の受け売りでもないと信じて、思う。

 

 真面目な話なのにあんまりにも構成とか考えずてきとうに書いたのであとで書き直したい。

 

 

 

 まあ何考えても勉強するか働くかしろよ、、、で終わるのですが。